ボーダーコリーについて

ボーダーコリーの歴史は、他の牧羊犬と同じくイギリスの牧羊業の開始から始まります。
かつて牧羊業が、イギリスの国家的事業として行われていた頃は、多くの牧羊犬がいました。それが産業革命以降、牧羊業がオーストラリアに移され、本国の牧羊業は激減していきます。それにともない多くの牧羊犬が消滅していきました。その中で能力の高い牧羊犬だけが生き残りました。もちろんボーダーコリーはその代表格だったのです。
また、1859年にイギリスで最初の近代的なドックショーが行われ、その後各地でドックショーが行われるようになり、コリー犬種も参加することになりますが、ボーダーコリーは例外でした。それはボーダーコリーの持つ"囲い込み"の能力が低下するのをおそれたためだと言われています。ボーダーコリーが羊を誘導する際、牧羊夫の合図でボーダーコリーは大きく弧を描いて羊の後ろに回り込みます、そして吠えることもなく目で威嚇をしながら羊を興奮させることなく誘導します。また、広大な牧場では牧羊夫の見えない所まで羊を誘導しに行ったり、時には、群れから離れた羊を探しに行ったりしていたはずです。これは全てボーダーコリー自身が判断して行っていたはずです。つまり、ハーディングの能力は訓練ではなく、生まれつき持つ才能により決まります。そして、能力の高い犬から、能力の高い犬が生まれます。また、そうなるように、能力の高いもの同士の交配や、能力の高いものの近親交配・系統交配がされてきたはずです。









2007年12月23日 Dog Show In パシフィコ横浜にてLynnさんと来春、Frankieと交配予定のAustralian Champion Tullacrest Legacy Ov LuvとJessei (上)
ボーダーコリーの持つキャリアの頻度数の高い遺伝性疾患へのオーストラリアのブリーダーたちの取り組みは、私にとっては大きな驚きでした。家庭犬として優れ・かわいい・健全なボーダーコリーのブリーディングを目指す私にとっては、オーストラリアのトップブーダーに学びたい、という気持ちが強くありました。それに応えてくれたのがLynn Harrison女史(Tullacrest Border Colliesのオーナー)でした。TullacrestはSouth AustraliaにあるKennelで35年以上オーストラリアのトップ犬舎として数多くの名犬を作っています。また、彼女を尊敬するブリーダーは世界に多くいます。その彼女が"EL VIENTO"のために送ってくれたのがFrankieとJessieです。







HOME

*当サイトの画像・写真・文章等の無断転載はご遠慮下さい。

*旧バージョンのInternet Explorerでは、サイトが正常に表示されない場合がございます。
その場合、最新バージョンのブラウザをインストールして再度アクセスして下さい。

アクセスカウンターアクセスカウンターアクセスカウンター